【父親について歌った名曲「3090~愛のうた~」の制作きっかけは?】 地元福島で音楽活動を続ける山猿さんにお話しをお伺いしました

インタビュー
【父親について歌った名曲「3090~愛のうた~」の制作きっかけは?】
地元福島で音楽活動を続ける山猿さんにお話しをお伺いしました

 地元である福島に居を構えながら、音楽活動を続ける山猿さん。父親について歌った”3090~愛のうた~”などのヒット曲をもつ彼に、父の日に合わせてお父様やご家族への想い、そして地元福島で開催されたワンマン・ライヴについて伺いました。

 

<プロフィール>
2010年に“LGMonkees”としてメジャーデビュー。
デビュー曲「Grateful Days feat. Noa」が話題を呼び、レコチョク「クラブうた」2010年度年間ランキング1位や、有線放送キャンシステム7月度お問合わせチャート1位を獲得。2011年3月16日には2nd miniアルバム『前回のLGMonkeesこと山猿です』をリリース。その直前には東日本大震災で自ら被災し、家が津波の被害を受け避難所生活を送るという経験もあり、音楽を通じて「愛」「絆」「勇気」をたくさん伝えたいという想いで「3090~愛のうた~」を同年10月にシングルとしてリリースするや、泣ける歌として話題になり、「NEWS ZERO」「ミヤネ屋」など全国ネットのTV番組でも大きく取り上げられ、配信は累計200万DLを突破、動画サイトでは5000万PVを超えている。
2014年8月、突如、LGMonkees解散を発表し、10月6日には東京にて「 LGMonkees解散LIVE みんなありがとう!! ~でも寂しいからサヨナラは言わないよ~」の公演を即完売させ、そのステージで「山猿」として再始動することを発表する。直後から「山猿」としてアーティスト活動を再開させ12週連続新曲を配信し、その中でも「カジカ」は配信サイトランキングにてウィークリーチャート1位にランクインし、有線放送でのオンエアと同時に問い合わせも殺到!話題が高まる中、約2年半ぶりとなるオリジナルアルバムを4月にリリースし、オリコンデイリー9位にランクイン。
2017年4月にリリースしたアルバム「あいことば4」では自身最高位となるオリコンデイリーチャート8位にチャートイン。地元東北に在住しながら日本全国へ「愛」を「うた」にのせて 発信している 「今」最注目のアーティストである。

山猿オフィシャルサイトhttp://www.yamazaru.net


―まず、山猿さんはどんなお子さんでしたか?
         
スゴく目立ちたがり屋だけど、同時にスゴく人見知りっていう、ややこしい子供だったと思いますね(笑)。でも、子供ってスゴく周りの環境や視線に敏感じゃないですか、実は。僕は特にそういう周りの期待みたいなモノをキャッチして、応えたいって感じる子供だったと思う。

―求められるものを、ある種「演じる」というか。

そういう部分があったと思いますね。でも「そうしろ」っていう風に、命令されたりはではなくて、自分でそうしていましたね。それは6人兄弟っていう部分も影響してたと思います。僕はその3番目だったので、兄弟が多い分、その中で目立ちたい、褒められたい、可愛がって欲しいっていう気持ちがあって、それが期待される事に応えたいっていう気持ちに繋がっていったと思いますね。

―お父様の事は”3090~愛のうた~”、お母様の事は”MAMA”で楽曲にもされていますね。

父ちゃんは優しくて、母ちゃんは厳しかったですね。男女あわせて6人も兄弟がいれば、やっぱり母ちゃんは厳しくなるのは当然ですよね。家族も、兄弟の仲も良かったですね……6人もいるとやっぱり誰かは常に喧嘩してるんですけど(笑)、寝る時はみんなで川の字で寝てたし、今でもお正月とか節目ごとにはみんなで集まります。

―子供時代を過ごされたのは福島、会津若松ですね。

ええ。自然に囲まれているので、冬にはかまくらを作って、夏はカブトムシを取りに行ったり、自然の中で遊ぶことが多かったですね。その中でも、僕はいつも父ちゃんに遊んで貰ってました。キノコ採りとか山菜採り、渓流釣りだったり。父ちゃんは去年の10月に亡くなったんですが、とにかく優しい人でしたね。例えば一緒にキャッチボールをして、僕が暴投して窓ガラスを割ったりしてしまっても、それをかばってくれたり。一度も怒られた記憶がないです。

ーその当時、音楽的な経験はありましたか?

特に何かを習ったことは無かったんですけど、とにかく歌が好きで、いつも歌ってる子供でしたね。お風呂でも歌ってたし、「また歌ってるわ」って近所でも思われるぐらい。だから、地元の人からは「やっぱり歌手になったんだな」って言われますね(笑)。それから、ばあちゃんちが「ルビー」っていう名前のスナックーー僕のファンクラブの名前も「ルビー」っていうんですけどーーをやってて、小学校の時は帰り道に寄って、ばあちゃんと一緒に美空ひばりさんとかあみんの”待つわ”、スターダストレビューの”木蘭の涙”とかを歌ってましたね。歌うと喜んでくれたし、そうやって人に喜んで貰うことも、やっぱり好きだったんですよね。

ーそのままバンドを組まれたりといったような経験は?

いや、中学校に入ると、虐められたりとかではないんですが、人と話すのが急に苦手になってしまったんですよね。それで誰とも喋れなくて、保健室登校する生活になってしまって。だから、高校に行く気も無かったんですけど、せめて高校だけは行ったほうがいいって家族に説得されて、一応、高校には1年だけ通ったんですよね。でもそこでの生活にも馴染めなくて、これだったら高校辞めて働いて、家にお金を入れたほうがいいと思って、誰にも話さずに勝手に辞めてしまって。その時だけでしたね、父ちゃんに怒られたのは。……いや、怒られたというよりは、「なんで辞めたんだ」って、悲しそうに言われたんですよね。そこから父ちゃんとの関係もギクシャクしてしまって、16~7歳から8年間ぐらい、話す機会も無くなってしまって。

ーでは音楽の道に本格的に進んだのは?

高校を辞めてからの16~7歳から22歳までは、起きて仕事に行って、寝て起きて……の繰り返しで、記憶もあまりないぐらいなんですよね。普通の人だったらすごく大事な時期だと思うんだけど、何の夢も無くて、ただ生活してるだけだった。ただ22歳の時に、友達が地元のライヴ・ハウスに出るっていうので、それを見に行ったんですよね。自分自身、転職をして人間関係が上手く構築できていなくて、「このまま誰とも話せず、打ち解けられずに生きていくのは嫌だ」って思ってた時期で。それで、そのライヴを見た時に、「俺も歌ってみたい」って気持ちが急に湧いてきたんですよね。歌ったら、この自分の気持ちを吐き出したら、自分が変えられるんじゃないか、人生が変わるんじゃないか、って。それで、その日の内にライヴハウスの店長に、経験もなにもないけど歌いたいって話したら、じゃあ来週出なよ、っていきなり決まって(笑)。それで必死に歌詞を書いて、インストに乗せて歌ったんですよね。

ー鬱屈した自分を解放したかった、自分を表現したかった、自分をアピールしたかった、と。

そうだと思うます。だから曲も”俺”っていう曲でしたね。16小節とサビしかなかったんだけど、歌ったらとにかくスッキリしたし、心が楽になったんですよね。自分の気持ちや悩みを吐き出して、誰かに聞いて貰えることが、こんなに心が軽くなるんだなって。そこから本格的に音楽を始めたし、僕を人間らしい生活に戻してくれたのが、音楽だったんですよね。そうやってまずは自分の為に音楽を始めたけど、僕の音楽に出会ってくれる人が増えていく中で、聴いてくれる人の背中を押したい、悩みを抱えてる人の勇気になって、僕のように心が軽くなって欲しいって思って、そういう曲も書きはじめて。

ー音楽活動を始めたことはご家族には話しましたか?

いや、話す前に有線や街角で僕の曲がかかってるのを聴いて、気づいたみたいですね。親父も有線でかかってるのを聴いて知ったって話してました。その曲が”3090~愛のうた~”だったんですよね。

歌声だけで分かるのは、家族の絆という気がしますね。お父様について歌った”3090~愛のうた~”を書かれたキッカケは?

歌詞にもある通り、家から外に出たら、駐車場で子供に自転車を教えてるお父さんがいたんですよね。その時に、俺も親父にこうやって教わったなって、ふっと思い出して。すぐにこの曲の歌詞とメロディが浮かんできたんですよね。

ーこの曲についてお父様からご感想はありましたか?

僕には直接言わなかったですけど、母ちゃんには嬉しいって伝えてくれたみたいですね。悲しいキッカケだけど、親父にガンが見つかってから、僕のライヴを見に来てくれたり、入院したことでじっくり話し合う時間が持てたんですよね。亡くなる前は子供の頃に戻ったぐらい一緒にいて、いろんな話をしましたね。それは”3090~愛のうた~”で書いたような事ももちろん。それから、高校を勝手に辞めて悲しませてしまった事もやっと謝れましたね。そうしたら「いま頑張ってる姿が分かったから満足だよ、体だけには気をつけろ」って。親父が死んだ後、家を片付けたら、僕が載った雑誌や新聞の記事を全部切り抜いてファイリングしてくれてたんですよね。それを見つけた時は本当に感動しましたね。音楽をやってて良かったし、自分の人生は間違ってなかったんだなって。

ーそれがお父様からの山猿さんの音楽に対するお返事だったんでしょうね。お父様から影響を受けた部分はなんだと思われますか?

「優しく生きる」という部分かも知れませんね。それは直接的に言われた訳ではなくて、親父の生き様を見て、そう思わされたというか。ずっと優しい人間だったし、本当に誰かに対して文句を言わない人で、自分の事を差し置いても人の為に生きるような人でした。人が困るような事はやるらない、裏切らない。それを見てきたので、僕も同じように生きようって思いますね。

ー7月12日には地元である会津で行われたワンマン・ライヴを収録した映像作品、「あにばーさる2 ~山猿だョ!! 今年も勝手に紅白猿合戦2016 あの夢への第二歩~」がリリースされます。

生まれ育った会津でのライヴであり、そして会場になった會津風雅堂の大ホールは、ずっと立てることを夢見てた会場だったんで、その夢が叶った瞬間だったし、感慨もひとしおでしたね。ライヴの演出は自分でやってるんですが、會津風雅堂でやる意味、この場所でワンマンが出来る意味を考えたライヴでしたね。

ーいま住まれているのも会津ですね。

東日本大震災の時には仙台に住んでいたんですが、家が津波にのまれてしまって、僕自身、逃げる道を一本間違えたら、巻き込まれてしまってたんですね。その時に、色んな人に助けて貰ったんですが、福島の人にも本当に助けて貰って。それで地元に戻ろうかなって思ったんですよね。思春期の大切な時間に良い思い出が地元には無いし、スゴく嫌いな場所だったんですよ。でも、地元に戻ってきた時にスゴく救われた気持ちになったし、だから住んでる場所から東京まで5時間半ぐらいかかるんですけど、今でも福島に住んで音楽活動をやっているし、今の山猿の音楽は地元が生んでくれていると思いますね。これからもそこで生まれたものを歌にしていきたいなって。會津風雅堂のライヴにも地元の仲間や先生、保健室登校や高校を辞めてなかったら、もしかしたら深い友達になれていたかもしれない友達もみんな来てくれて。だから、映像を見てくれた人には、山猿の周りにはこんなにあったかい人がいるんだって事も伝わって欲しいし、人は一人じゃないっていう気持ちが伝わってくれると嬉しいですね。

(おわり)

「あにばーさる2 ~山猿だョ!! 今年も勝手に紅白猿合戦2016 あの夢への第二歩~」
2017年7月12日リリース!
地元会津は會津風雅堂でのライブを完全収録したBD・DVDを同時リリース!!デビュー5周年を振り返るような映像などの演出、その歌と一体となったオーディエンスと共に作り上げた感動的ステージは必見!!少年時代から目標だったステージで、“さよならじゃない、またいつか会おう”というメッセージを込めた新曲「バイバイ..」、父親に向けて歌うヒット曲「3090~愛のうた~」ではハイライトを迎え、さらに大きく広いステージへと導く山猿の愛のうたはファンならずとも必見のマストアイテム

Blu-ray盤
ESXL-109/BD/2017.07.12 /¥5,556+税

DVD盤
ESBL-2476/DVD/2017.07.12 /¥5,556+税

4thアルバム「あいことば4」好評発売中!

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